コミュニケーションが人生を変える

人生に劇的な幸せをもたらすコミュニケーションについて考える。

自然なタイミングでの素敵な出会い

最近は身近な人との関係に悩む人が増えているようです。例えば母親と娘。父親と息子など。そして最も深刻な関係になるのが母親と娘のようですね。「自分のこれからの人生に、母親に登場してもらう機会はそうそうないのだ」と、さりげなくジャブを打っておくことが大事だというようなアドバイスをする人も多いようです。母親の「まだいい人との出会いがないの?」といった言葉に対してやってしまいがちなのが、「うるさいな、ほっといてよ」「お母さんみたいにお父さんみたいな人とは出会いたくないの」というような対応です。。母親との関係をソフトに変える「ビジネス的な対応」をするのが建設的でしょう。「お父さんみたいなのと出会い、結婚するくらいなら、独身のほうがマシよ」などと憎まれ口を叩くことは何も問題を解決しませんからね。そのような対応はもう取らないようにしましょう。親子関係も人間関係のうちです。イライラしたからといって感情をぶつけるようなことは、友人や上司・同僚などの関係では慎むのが礼儀であり常識ですからね。自分の自然なタイミングで素敵な出会いを見つけて、誰にも文句など言われずに出会い付き合って幸せなゴールを迎えればいいわけですから。
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人との出会い

「真理とはより上位の真理によって根拠づけられる」という言葉が僕の脳裏にこびりついて離れません。「善のイデア」によって知らされること、知ることができること、すなわち真理性を根拠づけられるものとは「美のイデア」をはじめとするさまざまなイデアであるといえるわけです。「善のイデア」とは、最高位のイデアとして位置付けられているということです。この「善のイデア」により根拠づけられたさまざまなイデア、あるいはこれらのイデアによって根拠づけられる真理や、コンテクストによって拘束される身近な真理なども含めて、一般に真理とは、より上位の真理によって根拠づけられるといえます。そして、その最高の真理が「善のイデア」だということのようです。たとえば数学や形式論理学などにおいては、さまざまな定理は前提となる公理から導かれます。さらにこの公理は前提となる言葉や記号の定義によって定められます。法体系においても、憲法などのより上位の法が優先的な根拠を得るものです。この事実は、私たちの真理観にも影響を与えていますね。根底には経験を通じた実践的な有効性・有用性に真理性を求めるのですが、その真理概念を積み上げて、新たな真理概念を生み出す対話や議論の過程においても、新たな真理性を見いだすことが可能なのです。真理から生まれる概念も、また真理なのです。真理とは、より上位の真理によって段階的に根拠づけられるものということなんですよね。思弁的な話ではありますが、このようなことを理解することができたおかげで日常的な社会生活を送るということも、他人とのコミュニケーションも随分と楽になりました。人との出会いを今までの人生ではずっと避けていたというような面もありますが、それも最近ではなくなりましたね。それが哲学の力なんだと思ったりもしています。

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コンテクストからの解放

続きになりますが、すべての事象も行為も、多かれ少なかれコンテクストに依存していると考えるべきで、それは事象や行為が時間や空間に拘束されることを意味するわけです。その拘束の程度には段階があり、したがって真理もまたコンテクストヘの依存度によって、その段階が分けられるということです。そして完全に拘束されない(コンテクストフリーな)絶対真理こそが、プラトンの言う「イデア」なのです。プラトンは、この善のイデアを「太場の比喩」によって説明しています。太陽に照らされることによってのみ「見ること」と「見られること」が可能になるように、「善」によってのみ、認識される対象に真理性が与えられ「知ること」と「知られること」が可能になるのです。 Read more…

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追い求めるプロセス

因果律は私たちの存在以前に、すなわちア・プリオリに存在するものとして、永遠・不変な客観的真理として受け入れられるものです。それでもなお、科学という真理探究のプロセスを考慮すれば、その現実的な前進のためにも「ア・プリオリな因律こそ唯一存在し得る真理である」と認めておくことは重要になりますね。そのような唯一存在しうる真理すなわち絶対真理に向かって、これを追い求めるプロセスにこそ知の本質があると考えられるからです。真理とは、常に普遍性を追い求めるという点において希求の対象であって、存在を問う対象ではないのです。行為の有効性を突き詰めると、そこに希求すべき真理が現れてきますが、時間的、空間的な拘束から解放される度合い(すなわちコンテクストヘの依存度)において、真理にも普遍性、あるいは永続性の程度において段階が生じてくるのです。 Read more…

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非時間的な真理

さらに考察を進めていきたいと思います。存在しうる真理とはア・プリオリな因果律のみである結論として真理とは存在し得るものなのでしょうか。存在を時間性に解釈するならば、真理とは「存在し得ない」といわざるを得ませんね。経験説による真理観によれば、行為に伴う有効性・有用性は厳密には再現不可能であり、時間的、空間的に非可逆かつユニークな条件化での一時的な効果に過ぎないからですね。このように限定された条件下での有効性・有用性は普遍妥当な真理とはいえません。しかし、その有効性が認められる行為の中に再現可能な関係性が見つかるならば、それは普遍性を帯びてくるといえます。このことは未来・過去・現在にわたる時間化からの独立を意味します。 Read more…

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眼前の瞬間

デカルトの「われ思う、故にわれ在り」という言葉はあまりにも有名です。これは人間の存在のみからしか真理は導かれないという考え方ですよね。しかしハイデガーの考えは、これを超えて、存在と存在者(現存在)の区別を図るものでもあります。このように存在一般を時間性に解釈することには意味があるといえるでしょう。時間とは根源的な現象であり、未来性こそが重要だからです。なぜなら存在了解が「企投」によってもたらされるように、行為はすべて未来へ向けての投げかけであり、それが現在の意識をもたらすからです。また自然現象や歴史上の出来事のように経験し得る事実も時間的に了解されます。その一方で物理の法則や数学の定理などは、時間を越えて、すなわち永続的に了解されます。 Read more…

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存在とは

哲学者の中の哲学者、マルティン・ハイデガーの話を少ししてみたいと思います。存在とは永続的・普遍的な働きであり時間性として解釈される西洋哲学の根本的な問いかけである「存在」についても、存在論として長い歴史の中で議論が繰り広げられています。ハイデガーの難解な事で知られる「存在と時間」に示される存在論の本質は、現存在(すなわち人間)を「時間性」に向かって解釈するということですよね。この時間性という概念は世俗的な意味ではなく歴史性も含めた広い概念で、未来・過去・現在にわたって自ら(現存在)を時間化する存在の仕方をいうものです。 Read more…

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「対話」というもの

「対話」というものの中にすべての答えがあるように感じます。というか「対話」以外の場所でに根源的に大切なものなんて見つけられないんじゃないでしょうか。人は「対話」を通じて、新たな知識を生み出すことを日常的に行っています。この創造的対話における発言には、何らかの経験的な要素が入り込んでいるはずです。つまり、そこから何かを生み出そうという未来へ向けた現在の言葉は、その個人の過去の経験の上に成り立っているのです。したがって創造的対話とは、その有効性が明らかになり真理性を帯びた言葉から、新たな知を構成するという試みであって、そこにもプラグマティックな真理性が暫定的に与えられるではないでしょうか。 Read more…

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真理性はいかにして担保されるのか

「経験説(プラグマティズムの真理概念)」というものがあります。これは一つの言明の有効性ないしは有用性が経験的に認められる場合、その有効性・有用性を言明の真理性として解釈するというものです。人が「知る」ということは経験を通じてであって、事実への対応でもなければ、抽象的な整合性でもないという真理観です。 Read more…

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手に負えない命題ではあるのですが

ちょっと手に負えない命題ではあるのですが「真理」について考えることが最近多いんです。「真理とは何か」という問いかけに関しては、哲学の世界でも一つの領域を形成するほど議論が多くあるようです。それでも主として三つほどの説にまとめることができるようです。 Read more…

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